「3.11天皇出席の震災追悼式典―全国一斉黙祷反対!集会・デモ」のブログ

3月11日の「政府式典と全国一斉黙祷」に反対するデモ・集会を行う「3.11行動実行委員会」のブログです。過去の行動報告、今後の行動案内、式典批判の論文・情報をお伝えします。

3・11行動へ寄せられた連帯メッセージです。当日途中までしか紹介できなかったため、ブログでアップします。

「闇に消される」3・11事故の健康被害者・避難希望者に光を
「ゴーウエスト」園良太(2016年、東京→大阪へ単身避難)
 
今日の集会、体調不良で行けなくて残念です。3.11当日に反原発と反天皇を断固貫くみなさんに敬意を表します。
 私は2015年夏に心臓の不整脈を発病し、何度も倒れこみ、放射能のせいではないかと思って、悩みに悩んだ末に大阪へ避難しました。その後体調は回復し、反安倍政権、反天皇の活動や、原発避難者と仲間たちで活動する「ゴーウエスト」へ関わるようになりました。ここでは、天皇が今日の式典や震災で「被災者の前で祈る」演出によってごまかしてきた棄民政策とは何なのか、避難者や健康被害者の立場から告発します。
 
私たちは集会やデモだけではなく、昨年から避難希望者の支援を始めました。それは、国が避難者への住宅支援などを打ち切るだけでなく、健康被害の発病者や、新たに避難を希望する人やへの支援を本当に何もしていないからです。その結果、健康被害者も避難希望者も絶望的な状況です。
 私たちはまず避難移住の相談受付から始めました。電話・メールと、毎月第2土曜日に大阪天満国労会館での来所相談です。その後避難移住は下見から始まると自らの経験から考え、みなさんからのカンパで1人1回1万円の交通費を支援し始めました。またHPに相談掲示板を作り、被ばくの危険と避難支援を書いたパンフレットを東日本で配り始めました。
 すると、昨年末から相談が急増。話せる場を求めていることを痛感しました。また実際に関西に来られて、お会いし、知人宅に一時宿として連れて行ったり、関西を案内してきました。その誰もが、化学物質過敏症などの重い健康被害を追っています。健康被害が出て、特にアレルギーなどで「もう東にはいられない」と思った人から避難を考え、しかし病気ゆえに移動も家や仕事探しも大変という状況がよくわかりました。
 中でも最も深刻な例を紹介します。昨年12月、東京在住の母子が大阪へ相談に来ました。2013年に母のAさんが電磁波過敏症化学物質過敏症などを併発し、極度に悪化し、家財道具など全て住んでいたマンションに残したまま、母子で体ひとつで関西へ逃げてこられました。避難移住支援のバルーンを上げていたゴーウェストに連絡をくれ、お会いしました。ただ私たちも経験が浅く、交通費補助に加え、メンバーが自腹を切っての家賃支援から始めました。
 原発事故後にこれらの過敏症が急増しているのは、岡山の三田医師も臨床結果から指摘しています。チェルノブイリの文献にもかかれています。化学物質過敏症は、他人や自分の洋服についた合成洗剤や香水の香りだけで、あらゆる体調不良が出ます。電磁派過敏症は、電化製品、携帯電話、街の送電線やそれが集まる鉄塔、携帯の基地局などが近くにあるだけで、体中に痛みが走ります。同時併発も多いです。
 Aさんの電磁波過敏症は凄まじく、東京では「出産並みの痛さ」が何度も続いてのたうちまわっていたそうです。送電線の鉄塔や携帯基地局は、都会でも田舎でも必ず立っています。企業利益を優先する日本は規制がゆるく、その近くに簡単に家を建てます。そこでAさんは海辺などの安住の地を求めて野宿もしてきました。実はそうした患者たちはたくさんいるそうです。
 多くの健康被害の中で、過敏症はこうして住める場所が極度に限定されます。また携帯が使えないため連絡も非常に苦労しました。Aさんも多くの避難希望者も当然まだ関西に土地勘がなく、たまたま選んだ短期滞在マンションが鉄塔に近かったため、ますます体調が悪化。マンションの期限も迫っていたため、私たちは知人の家をさまざまに当たりました。
 そうした中、1月末に「野宿をしている」とメールが来て、私たちは「この寒さで野宿はありえない」と大慌てでカンパや住宅提供を呼びかけました。多くの方の協力を得て、感謝しています。Aさんはその後大阪府内で避難者を受け入れてきた保護施設に入りました。
 
Aさんが、ご自分で書かれた東京にいるときの症状と言うのを見せてもらいましたが、あまりにも凄まじく、よくぞ生きてこられた!と驚愕するばかりです。
 
理解されない辛さ。知ってほしい、という気持ちを受け、彼女の記録をいち部分ご紹介します。
化学物質過敏症電磁波過敏症、の症状は広範囲に症状が現れます。
それは、目、鼻、耳、口や喉、消化器、腎臓・泌尿器、呼吸器・循環器、皮膚、関節・筋肉、すべてに細かな様々な症状が書かれています。
以下、電磁波過敏症とみられる症状
「重症化してくると、電化製品が痛くて使えないコンセントを抜かないといられなくなる(痛くて)
頭の中に空気が入った感じがして、脳を指で触られている感覚や手で書き回される感じがする。そしてそれがものすごく痛い。部屋では平衡感覚がなくなり壁に頭をぶつけ、尻餅をつく。立ち上がろうとしても、左肩から転倒。右へ重心を傾けて立ち上がろうとすると止まらず壁へ頭をぶつける。どうしてもまっすぐ歩けず四つん這いで歩く。常に頭痛、耳の鼓膜の違和感と痛み、超音波の音が聞こえる。体が重い。
痛みについて
・耳と脳が貫通しているような今までにない初めての耳の奥の痛み。
・頭が割れそうな痛み。出産を超える炒めが24時間毎日続く。痛すぎて横になることもできず、座ることもできないほど痛すぎてその場で足踏みをしたり、一晩中部屋の中を歩きまわることが6日ほど続いた。痛すぎて大暴れしたくなる。ソファーを投げ飛ばしたり、窓ガラスを全部割尽くしたくなる位の痛み。
命に関わる1つの目安として、テレビが見れなくなると命が危ないところまで来ている。情報が少ないためにどのような状態が命に関わるかを知ることができない。
その他
家に入れない。車や電車に乗れなくなる。
東京に近づけない
車に近づけない
人に近づけない
すべて痛くて近づけない。」
以上
 
これらの人たちの苦しみは想像を絶します。化学物質、電磁波の影響はともかく、放射性物質の影響など、周りの理解は全く得られない状況です。単身で、孤独に避難された方たちの存在は、ほぼ世に知られていません。こうした避難希望の方は彼女だけ、ではなく、これからも増えていくものと思います。みなさんの中にもあるのではないでしょうか。もちろんがん、心臓病、白血病などの大病も含めて。
 
天皇家のように莫大な権限とカネがあれば、手厚い医療も避難もできるでしょう。しかしこうした健康被害者=生活困窮者です。
私は、事故を起こした責任だけではなく、こうした現在進行形の放射能被害とその責任をごまかす今日の天皇式典を許しません。全ての原発棄民政策を許しません。国家や天皇の責任とともに、健康被害を告発し、帰還政策から避難政策への転換を要求しましょう。
14時46分は関西電力前でダイインをします。
そして3月16日は首相官邸前の辺野古行動に行きます。
17日は昼からjr田町の「リーブラ」にて、チェルノブイリ法日本版の集会で発言をします。17時から17時半です。ぜひ、その時にお会いし、色々話し合いましょう!
2019年3月11日 ゴーウエスト・園良太